我が師菅野昭夫弁護士2~北陸スモン訴訟~

昨日に引き続き,新人弁護士学習会における

菅野昭夫弁護士の講演のアウトプットを行います。

 

 

菅野弁護士は,弁護士5年目ころから,

北陸スモン訴訟の事務局長として活躍されました。

 

 

スモンとは,亜急性脊髄視神経症という病気で,

この病気の患者は,両下肢にしびれや痛み等の異常知覚をおぼえ,

両下肢の麻痺などの運動障害で歩くことができなくなり,

一部の患者は,視力を奪われ,

重篤な患者は,死に至ることさえありました。

 

 

スモンの原因は,キノホルムという整腸剤でした。

 

 

 

 

キノホルムは,スイスのチバガイギーや

日本の武田薬品,田辺製薬などの大手製薬会社によって販売され,

日本では,1960年代から大量に発売され,

1970年まで全国で約2万人の患者が

スモンの薬害に侵されたようです。

 

 

1970年に,厚生省がキノホルムの製造販売を禁止したところ,

スモンの発症がなくなり,厚生省は,スモンがキノホルムを原因とする

薬害であることを正式に発表しました。

 

 

厚生省がスモンは薬害であることを正式発表しても,

キノホルムの安全性についてのデータがあったりして,

製造販売を行った製薬会社や,

製造販売を許可した国の責任を問うことは困難でした。

 

 

しかし,被害が深刻で悲惨な状態であることは間違いなく,

患者と家族が裁判に立ち上がったのです。

 

 

これがスモン訴訟です。

 

 

全国33地裁で,原告約7000人が,

合計約2800億円の損害賠償請求をした

一大薬害訴訟となりました。

 

 

東京地裁などには,スモン訴訟を専門に審理する

スモン専門部が設立され,そこの可部裁判長は,

まことに空前の規模の事件というべく,

通常の司法裁判所がこれだけのスケールの事件を担当した前例は,

世界にも無いものと思われる」と表明したようです。

 

 

スモン訴訟の弁護団は,第1にスモンの治療法を確立させるなどの

恒久対策を含む被害者の救済を目的とし,

第2に,全国民的課題として薬害被害者救済制度と

薬事法の抜本的改正を目的として,

連続した勝訴判決により国と製薬会社の法的責任を明らかにさせ,

全国的超党派的な世論と運動を巻き起こして,

これらの目的を達成するという全国的な戦略を樹立しました。

 

 

そして,菅野弁護士は,全国の弁護団とともに,

地元北陸での被害者や支援団体の組織化,

金沢地裁での訴訟活動,

国会や各政党への要請活動,

製薬会社や厚生省との交渉などを行いました。

 

 

菅野弁護士は,キノホルムの危険性を立証するために,

英語を勉強して海外の文献を調査したり,

東北大学に裁判に役立つ文献があるという情報を入手して,

夜行電車に乗って東北大学へ行って文献を入手したりなど,

様々な苦労をして,全国の裁判をリードしていったようです。

 

 

そして,1978年3月に全国で初めて金沢地裁で勝訴し,

続けて,東京,福岡で連続的に勝訴判決が続き,

1979年に厚生大臣と製薬会社社長との全面解決確認書の調印,

国会での薬事法改正及び薬害被害者救済制度が成立されて,

約15年もの歳月をかけてスモン訴訟は全面解決となりました。

 

 

 

菅野弁護士は,金沢地裁での判決のとき,

全国から200人近い記者が金沢地裁前に集まり,

実況用のテント村ができ,裁判所構内で大集会が開かれるなど,

空前絶後の経験をしたと語っていました。

 

 

この物語から言えることは,弁護士は,

困難な事件に正面から向き合うことで,

事件を解決するために,智恵をしぼり,証拠を集め,

依頼者と信頼関係を築いていく過程で,

弁護士としての必要なスキルを身につけて,

成長していくのだと思います。

 

 

裁判を通じて社会を変えるダイナミックな事件を担当することは,

弁護士として大変名誉なことです。

 

 

私も,労働事件において,社会を変えるような判決を勝ち取るために,

今後とも精進していきたいと思います。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

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